誕生日
当院では,お誕生月にバースデーカードと検診をプレゼントしています(事情により,すべての方にではありません。ごめんなさい。)。
数年前のことです。
“龍に葉書をもらったから,検診に行くわ。”
とHさんから,ご予約の電話がありました。
“バースデーですね。”
と受付の看護士。
“いいえ,歩いていくわよ。”
とHさん。
少しの間のあと,
“あ,はい,わかりました。”
どうやら,「バースデー」 が 「バスで」 に聞こえてしまったようです。
そのHさんが,1年ぶりに,ご挨拶に来てくださいました。
“この日を,私の心のけじめの日にしたいと思いましてね。龍を良い思い出にしたいのです。”
悪性腫瘍を患い,パグ犬の龍ちゃんが永眠したのは,1年前のことでした。ご自身の年齢から,もう新しい家族は迎えない,龍が最後の子と,昔から言っていたHさん。龍ちゃんに対する思い入れは,ひとしおでした。16歳まで長生きした龍ちゃんでしたが,年数の問題ではなく,その事実を受け入れることが難しかったのかもしれません。心のけじめの日は,龍ちゃんの誕生日,それはHさんが初めて1人で,病院に来た日でした。
犬と暮らすことは,散歩による運動量の増加,会話の増加,生き甲斐が増え,血圧が安定し,心身ともに良い効果があることが分かっています。小さな家族を失った悲しみを,新しい家族が癒してくれることも知られています。Hさんが高齢とはいえ,経済力があり,万が一の際にも,お孫さんが家族を引き取ってくれることが保障されていました。
‟新しい子を迎えてみては,いかがでしょうか。”
私は,Hさんにそう伝えることができませんでした。Hさんは,自身のためではなく,新しい子のこと,周囲の方のことを,まず考える方でした。その考え方は,お会いした時からずっと変わることはありません。今まで頑張ってきたのだから,もうちょっと甘えても良いのに,と誰もが思っていても,Hさんの考えは変わることはないのです。美しくて頑固なHさんの生き方に,安易な言葉で触れてはならないのです。
来年も,再来年も,ずっと,Hさんには特別な日が,来ることでしょう。
龍ちゃんの誕生日が。