春風献上
Iさん宅のラブちゃんは,9才のゴールデンレトリーバー。1週間前から呼吸が荒くて,元気がないということで来院されました。
ラブちゃんは,診察台の上で,激しく肩を揺らしながら呼吸をしていました。そして,腹囲が拡大していました。発咳のない呼吸困難は,胸腔内疾患を示唆し,腹囲の増大は触診により,腹水が疑われました。呼吸困難は,命にかかわるため,迅速な診断と処置が必要です。すぐに超音波で胸腔内を確認すると,多量の胸水が認められました。また,腹部には,多量の腹水が貯留していることがわかりました。
心臓を確認すると,心タンポナーデ(心臓の筋肉と心外膜の間に液体(心嚢水)が貯留し,心機能を低下させている状態)になっていることが分かりました。
ラブちゃんは,何らかの原因により心タンポナーデとなり,心臓の機能が著しく低下したために胸水と腹水を生じ,呼吸困難となっていると考えられました。
すぐに胸部に針を刺し,1リットルの胸水を除去しました。胸水の正常は,漏出液で,心不全による胸水であると考えられました。
高齢期の大型犬の心タンポナーデの原因には,血管肉腫,心基底部腫瘍,リンパ腫などの悪性腫瘍による出血性のものが一般的で,まれに特発性といって原因を特定できないこともあります。原因が悪性腫瘍の場合は治療経過が悪く,特発性の場合は,心嚢水を除去できれば,経過が良いことが分かっています。
いずれにせよ,何らかの方法で心嚢水を除去して心機能を回復させなければなりません。通常,心タンポナーデでは,胸壁近くまで心が拡大するため,針を刺入し除去することが可能です。しかし,ラブちゃんの心サイズは正常とほとんどかわらず,胸壁からの距離があることと,激しい呼吸で胸が動く事から,針による組織の損傷のリスクが高くて実施できませんでした。
胸水を抜くばかりの姑息的な対症療法を行う日が続きました。
しかし,胸水はすぐにたまります。それは,心タンポナーデに対する治療ができてないからでした。
Iさんに手術を提案しました。
それは,全身麻酔下で,心臓の外膜を大きく切り取り,心嚢水をたまらないようにする手術でした。同時に胸腔内の液体を除去するための管を設置する事で,毎回針を刺す苦痛も与えないようにします。
胸水,腹水を生じるような心機能の抑制があり,麻酔処置の危険性は非常に高いと考えられました。また,手術自体がうまく行っても,心タンポナーデを引き起こす原因が,悪性腫瘍である可能性が高く,そうならば余命は長くないと考えられました。
Iさんの出した結論は,手術を行うことでした。ベストを尽くして駄目なら仕方ない。可能性があるならかけてみる。
すぐに決心が出来たわけではありません。でも,Iさんは,分かっていました。
歩きださなければ,転ぶ事さえできないことを。
あれから,3ヵ月後,Iさんから年賀状が。
確かに春風,
届きましたよ。