私だけ?
“先生,何とかなりますか?”
Dさんが連れて来られたのは,皮膚外傷の雄の野良猫でした。左前肢の前腕のほぼ全周にわたって皮膚を失い,化膿臭があります。
聞くと,一年前から皮膚の傷があり,消毒と包帯を繰り返していたとのこと。徐々に潰瘍が拡大し,ついに前腕の殆どの皮膚を失ったということでした。
“何とかしましょう。ただ,一年がかりでできた傷です。治すには,時間も労力もコストもかかります。おそらく,麻酔処置が何回か必要でしょう。最悪の場合,肢を落とすという選択が必要かもしれません。”
Dさんの承諾が得られ,長い入院生活がスタートしました。まず麻酔下で腐った組織を取り除き,細菌培養と効果のある抗生物質を調べるための検査,闘争を繰り返さないために去勢手術を行いました。
抗生物質の投与と洗浄を1週間続け,化膿がコントロールできたところで,皮膚を寄せるために二回目の手術を行いました。創はおよそ1/3になりました。
以前は傷に対して消毒することが当然の時代がありましたが,現在は消毒すると細菌だけでなく正常な細胞も殺してしまうため,感染が無い限り消毒を行わないのが常識となっています。また,創は乾燥した状態より,潤った状態のほうが治り易いことが分かっています。
皮膚の細胞を傷つけないように,数日に1回分泌物を生理食塩水で洗い流し,患部を湿らせた状態で維持する様に包帯を巻きました。
と,書くのは簡単ですが,治療を受けるのは,いかつい顔した野良猫さん。いろいろな意味で緊張の毎日でした。
Dさんは毎日欠かさず,面会に来てくださりました。よくよく伺ってみると,“マサ”という名前をつけて,相当可愛がっているようです。マサ君は,Dさんが来ると,尻尾を震わせてまるで犬のように喜ぶのです。私に対する態度と180度違うのです。
マサ君は,徐々に病院に慣れ,はじめは人を見ると”シャー”と言って怒っていたのに,誰を見ても威嚇することもなくなりました。
ただ一人を除いて。
痛みが無くなって,気分が良いのか,よく食事も食べるようになりました。がりがりに痩せた体格は,ふくよかになり,毛艶も輝くようです。2ヶ月目には,ついにスタッフに頭をなでられ,”グルグル”と喉をならすようになりました。
ただ一人を除いて。
・・・私です。
完全に皮膚が再生し,退院の日。
毎日のお世話で,すっかり情が移ってしまったスタッフの目には,涙が。
ただ一人を除いて。
“もう,けんかするなよー,マサ!!大変だったんだから。”
心の中で叫んでいたのは,
・・・私です。