教頭先生
お腹の皮膚から血が出ているということで来院されたのは,8歳のメスのうさぎでした。
下腹部の皮膚に直径6cmのしこりができ,表面が擦れて出血を起こしていました。
細い針を刺して細胞を吸引し,標本を作って観察してみると,多量の上皮系の細胞が異常な形となって増殖していることがわかりました。しこりができている場所と細胞の形態から,乳腺癌であると,考えられました。
うさぎの乳腺腫瘍は悪性のものが多く,90%は乳腺癌であり,極めて転移しやすいとされています。
人ならば70歳を超えている高齢のうさぎに対して,すでに転移を起こしている可能性の高い腫瘍の摘出を行うかどうかは,非常に苦慮します。
高齢であり,出血が持続していれば貧血もあるはずで,麻酔のリスクは高いでしょう。腫瘍はかなり大きく,転移している可能性が高く,摘出しても寿命はあまり変わらないと思われます。しかし放置することは,出血が持続することで,生活の質を損なうことは確かです。
このような場合,私は,ペットオーナーに判断を委ねることにしています。あらゆるメリットとデメリットを熟慮し,その上の決定であれば,ペットもオーナーも幸せであると信ずるからです。
しかし,今回は,あえて摘出手術を行うことを勧めました。
実は,そのうさぎの飼い主とは,ある小学校の児童たちでした。子供たちには,病から逃げてほしくない。万一があったとしても,積極的な治療を受けたうさぎの姿が,子供たちに何かを残してくれるような気がしたからです。
1. 手術には,麻酔のリスクがあること
2. 完治・延命は望めないこと
3. 放置することは生活の質を損なうこと
連れてきて下さった先生に,この3点を全ての生徒たちに理解してもらうよう,お願いしました。その上の決定であれば,どんな決断であれ,私も最善の努力をすると約束しました。
小学校の先生から,手術の依頼があったのは,それから一週間後のことでした。
“飼育委員会の子供たち全員で,話し合って決めました。手術がうまくいくようにって,教室にたくさん短冊を張ったんですよ!!!”
先生から,うさぎと子供たちの夢を預かりました。
二週間後,見慣れぬジャージのおじさん(ゴメンナサイ)が,小さなケージを持って来院されました。どなたかと思ったら,小学校の教頭先生です。飼育委員の先生はお忙しく,代わりに教頭先生が,抜糸のためにうさぎを連れて来院されたのでした。
21糸縫う大きな創でしたが,傷は無事に治っています。
“他のうさぎと一緒にしても大丈夫ですか?”
と,教頭先生。
“はい,もう心配ありません。”
“そうですか。よかった。もし駄目だったら,今度の休みは,家に連れて帰らないといけないかと思ってたんです。”
教頭先生が帰った後,スタッフ一同声を合わせて,“教頭先生も大変だねー。”
小さな動物にも優しい教頭先生がいる学校。そんな学校には,きっと愛情深い先生達がたくさんいて,心豊かな子供たちがたくさん育っていることでしょう。
なんだか,嬉しくなりました。