信頼
800gの子猫が尾から出血し,来院しました。
尾のほぼ全周にわたる皮膚欠損が3cmの長さで認められ,出血が持続しています。
子猫は借りてきた猫で,借主の家の犬が咬んだということでした。あわてて子猫を連れて来院されたのは,借主の方でした。子猫は,犬に慣れているということでしたが,自宅の犬は猫に慣れておらず,事故が起こったそうです。
ごもっとも。起こるべくして起きたアクシデントですが,今はそれを言っても仕方ありません。出血を早くとめ,今後の治療方法を飼い主の方と相談しなくてはなりません。
その時,息を切らして入ってきた方が。
目をあわせて,ニッコリ。
子猫の飼い主の方は,いつもワンちゃんで来院されていたHさんでした。
止血と創の整理には麻酔処置が必要なこと。
2ヶ月の子猫は,予備能力が少なく,麻酔処置のリスクを伴うこと。
元の尾に戻すためには,皮膚の再生に相当な日数がかかり,感染を起こす可能性があること。
その間,傷を舐めないためのカラーの装着が必要で,傷の処置を毎日行わなければならず,苦痛を伴うこと。
苦痛を速やかに取り除き最短で治療するには,創を落とす形で段尾(尾を切り取ること)することが最も負担が少ないが,美容上受け入れられない方もいること。
時に治療は,説明の時間もおしいくらい急がなければならないことがあります。
スピーディーに,でも分かりやすくという矛盾するような私の説明をさえぎるように,一言,Hさんが言いました。
“先生が,良いと思う方法でやってください。”
翌日,子猫は元気に食事をとり,退院しました。子猫にとって最も苦痛がなく,治癒まで早い方法を考えた結果,段尾処置を行ったのでした。
本当にそれで良かったんだろうか。
元に戻す努力を放棄したのではないだろうか。
全幅の信頼をくださったHさんと子猫にとって,最も良い治療ができただろうか。
7日後,抜糸のためにHさんが子猫を連れて来院されました。
“おかげさまで,このとおり飛び回ってます。”
と,いつも朗らかなHさん。
子猫の咬傷のトラウマはなさそうで,抜糸処置は無事におわりました。心の傷も小さくすんだようです。
願うとおりの結果が得られましたが,それは私の基準でしかありません。
これでよかったかい?
心の中でたずねてみても,やっぱり子猫は,答えてはくれませんでした。