姿勢
“先生,私にもしものことがあったら,この子を注射で私のところに送ってやってくれませんか。”
“えっ?”
診察室での突然のHさんの言葉を,私は直ぐに理解できませんでした。
Hさんは,定期的に愛犬の竜ちゃんの健康チェックに来院される,ペット想いの素敵なご婦人です。食事が大好きで,太りがちの竜ちゃんの体重を,いつも気にかけています。Hさんご自身がご年配であるため,何かの時には姪っ子に竜ちゃんを頼むんだと,養育費まで準備してあると伺ったことがあります。
そんなHさんに何があったのでしょうか。
“実は,今度私が手術を受けることになりました。私に何かあった時には,竜を姪に頼むと約束していましたが,よく考えるとそんな無責任なことも出来ないので,何もないとは思いますが,もしもの時には,どうか竜を私のところに送って下さいませんか。”
いつもと変らぬHさんの声のトーン。
“分かりました。そのかわり,竜ちゃんのために,絶対に元気になって下さいね。”
正直に言うと,その時私に考える余地はありませんでした。Hさんの空気は,凛としていて,一点の曇りも無く,汚してはならなかったのです。その空気の中にいることを,私は心地良いとさえ,感じていたかもしれません。
ペットを飼うということは・・・。
二つの影を見送りながら,背筋を正された気がしました。
2ヵ月後,少し痩せた竜ちゃんが来院しました。